螺鈿(らでん):漆を青く光らせる真珠母の象嵌
螺鈿の箱を灯りの下で傾けると、中の貝が動くにつれて色を変える——青緑のきらめきが紫のほうへ滑り、また戻る。塗料だ、あるいは虹色の塗膜だ、何か巧妙な漆の仕掛けだ、と呼びたくなる。そのどれでもない。貝だ。本物の真珠母を、ほとんど紙のように薄く切り、黒漆の表面に象嵌したものだ。そして青は、貝自身の色ですらない。下の黒が、透けて見えているのだ。
その最後の事実が、工芸のすべてだ。それをつかめば、螺鈿は「きれいな貝の装飾」であることをやめ、実際に読めるものになる。
本物の貝を、表面に彫り込む
螺鈿(螺鈿)は象嵌だ。正式な定義はそっけない——「漆や木の彫った面に真珠層を嵌め込む方法」。真珠層とは真珠母、ある種の貝の光沢ある内側の裏地だ。だから螺鈿の職人は絵を描いているのではない。貝から形を切り出し、それをテッセラ(モザイク片)のように漆に嵌め込んでいる。金を撒いて蒔絵を作るのと同じ論理の手——金属と媒剤は分かれたままだ。蒔絵は姉妹の工芸で、二つはしばしば一つの表面を分け合う。
三つの貝が仕事の大半を担い、それらは取り替えのきくものではない。鮑(あわび)はいちばん派手な色を放つ。見る角度で激しく振れる、青から紫への階調だ。夜光貝(やこうがい)は南の海の大きな巻き貝で、薄く切ると乳白色に緑と桃を見せる。蝶貝(ちょうがい)——真珠を育てる貝——は静かな一枚で、落ち着いた銀白は茶道具に好まれる。鮑と夜光貝はどちらも薄いと青みを帯びるので、一つのあだ名でまとめられる——青貝(あおがい)、「青い貝」だ。
青を説明する数字
ここが、競合がたいてい止まり、本当の答えが始まる場所だ。すべては貝がどれだけ厚いかにかかっている。
| 厚貝(あつがい) | 薄貝(うすがい/青貝) | |
|---|---|---|
| 厚さ | 約1〜2mm | 約0.05〜0.15mm(青貝 ≒0.1mm) |
| どう見えるか | 強い輝き、だが色は鈍い | 透明な干渉色、青緑に光る |
| 地は効くか? | いいえ——貝が不透明 | はい——黒漆が透けて色づける |
| どう仕上げるか | 硬いモザイクのように彫って嵌める | 伏せ、上から漆をかけ、研ぎ戻す |
貝の一片をおよそ0.1mmまで削ると、二つのことが同時に起こる。第一に、真珠層自身の干渉色——重なった微細な層から生まれるきらめき——が、白亜のようではなく澄んで透明に読める。第二に、ここが見落とされる部分だが、貝が透けて見えるほど薄くなる。黒漆の上に伏せると、その薄さが「下の黒い色を透かして輝かせ、貝を青く見せる」。工芸にはそれを指す名さえある——青貝塗(あおがいぬり)、青い貝の漆だ。職人はその効果をわざと押し進め、貝の下に炭の黒を効かせて青を引き出す。厚い貝は不透明なままで、地はあなたの目に届かず、色は白っぽく平板なままだ。
だから青は共同作業だ。貝のきらめきに、残りの光を飲む暗い地が加わる。同じ貝を、黒ではなく白の上に伏せれば、まるで違って見えるだろう。だからこそ黒漆はただの色の選択ではない——螺鈿では、それは光学的な仕事をしている。現代の作り手の中には効果を極限まで追う者もいる。金沢の作家・池田晃将は貝を0.05mmまで削り、灯った画面のように光らせる。
隠して、また見つける
その作りは直感の逆に進む。まず貝を均一なシートに薄くする——回転する砥石で削る(摺り貝)か、煮て剥ぎ分ける(剥ぎ貝)——それから細い鋸で形に切るか、型に当てて打ち抜く。片を彫った凹みに象嵌するか、漆の上に接着する。そして職人は奇妙な部分をやる——貝が完全に消えるまで全体を黒漆で覆うのだ。意匠は消える。
そこでようやく、それは呼び戻される。表面を研ぎ磨く——炭、砥石、鹿皮、何日も何週間もの繰り返し——貝が再び現れ、今や周りの漆と完全に面一で、爪の引っかかる段差もないところまで。漆を十分に厚く重ねれば、埋もれた貝は艶のレンズの下に浮かんでいるように見える。根気のいる仕事だ。螺鈿の箸一膳でおよそ四か月かかる。研出蒔絵の「埋めて研ぎ出す」のと同じ論理であり、漆が乾くのではなく湿った室で硬く固まることに全面的に頼っている。
駱駝と、琵琶と、1300年
螺鈿は日本で始まったのではない。厚貝の技法は長い道を旅した——エジプトにさかのぼると言われ、唐代の中国で成熟し、そこでは漆で裏打ちした貝が青銅鏡に嵌め込まれた——そして奈良時代(710〜794)に唐から日本へ伝わった。それを証す一つの品が、いまも奈良にある。
東大寺の8世紀の宝物庫・正倉院には、螺鈿紫檀五絃琵琶が収められている。真珠母を象嵌した紅い紫檀の五絃の琵琶だ。その撥面には駱駝に乗る楽人と、鳥と熱帯の木が描かれ、背面は貝だけで表した唐花文だ。同種で現存する唯一の五絃の木製の琵琶で、長さおよそ108cm——そしてその玳瑁の撥面の擦り傷は、それが飾られただけでなく実際に弾かれたことを示している。正倉院自体は756年、聖武天皇の崩御四十九日に、光明皇后が600点余りの品を捧げたことにさかのぼる。その宝物の多くは日本製だが、意匠はシルクロードに沿ってイラン・インド・中央アジアを帯びている。この琵琶が螺鈿の創設文書だ。
工芸は続いた。1670年代までには、杣田清輔のような江戸の作り手が微小な貝の断片で表面を敷きつめ、今なお杣田細工と呼ばれる様式を生んだ。そして今日、同じ薄貝の青貝が、手の中で青緑にきらめく黒漆の万年筆を彩っている。だが仕組みは琵琶の頃から変わっていない。いつも貝で、いつも薄く切り、いつも暗がりに嵌め込む——その下の黒から借りた色で光りながら。