蒔絵(まきえ)とは何か?金を「蒔く」漆芸を、格ごとに読み解く
蒔絵(蒔絵)という言葉は「蒔いた絵」を意味する——*蒔(まき)*は種をまく・撒く、*絵(え)*は絵。作り方をそのまま名前が語っている、数少ない工芸名の一つだ。蒔絵の金は、漆に混ぜて塗るのではない。濡れた漆の下絵の上に、乾いたまま撒かれ、樹液が落ちた場所で一粒一粒をつかまえる。この一点をつかめば、値段のこと、格のこと、収集家が「本物の」金をめぐって議論することまで、工芸の全体が腑に落ちる。
肝は「混ぜる」のではなく「蒔く」こと
他のほぼすべての金彩の伝統は、金を媒剤に溶かし込んで描いていた。中国の「金泥(こんでい)」——金泥——の技法は、金を磨りつぶして絵具にした。日本は逆をやり、それを看板にした。職人は素の漆だけで図柄を描き、その漆がまだ粘りのあるうちに、細かな金属粉を上からたたき落とす。漆が接着剤で、金属はあくまで表面に載るだけ。金や銀が絵具に沈まないため、光を受けて、どこの金彩漆よりも明るく映える——技法が主流を奪った理由はまさにここにある。
その接着剤こそが蒔絵を遅くする。漆は乾かない。硬化する。湿った空気から水分を引き込めるときにだけ固まる(その化学こそ漆の風変わりな物語のすべてだ)。だから撒いたばかりの品は、20〜25℃・相対湿度70〜85%前後に保たれた室(むろ)に入れられ、待つ。この待ち時間があらゆる工程で繰り返される。
描く・蒔く・固める・磨く
中心となる手順は、言葉にすれば短く、やれば長い。図柄を表面に写し(置目)、細い蒔絵筆で輪郭を描き、形を漆で埋める——その埋め漆が接着の床になる。次に来るのが粉蒔き、撒く工程そのものだ。粗めの粉は*粉筒(ふんづつ)という竹の管からたたき出し、指で管を叩いて粒を均一に落とす。もっとも細かい粉はやわらかな毛棒(けぼう)*で置いていく。硬化したら、職人は生漆の薄い一塗り(粉固め)で全体を封じ、表面を研ぎ(研ぎ)、磨いて(磨き)艶を出す。
粉は二つの軸で選ばれる——粒の大きさと、形だ。もっとも細かい*消粉(けしふん)はおよそ0.3マイクロメートルで、マットで繊細だが弱い。もっとも粗い丸粉(まるふん)*はより丸く、丈夫で、光を散らすためより輝く。純度も効いてくる。24金(99%以上)はやわらかく傷つきやすく、23金(およそ95〜97%)が実用上の妥協点、22金以下は硬いが色みが変わる。こうしたすべてが、一点でおよそ二週間の作業になり、手で装飾した万年筆なら二か月から六か月以上かかる理由だ。
三つの格を、表面で見分ける
蒔絵として売られるもののほとんどは、三つの型のいずれか、それに二つを組み合わせた稀な第四の型を加えたものだ。いちばん手早い見分け方は、模様ではなく、指先が何を感じるかにある。
| 格 | 表面 | 作り方 | 発達した時期 |
|---|---|---|---|
| 平蒔絵(ひら) | ほぼ平ら、わずかに盛り上がる感触 | 描く・蒔く・固める・磨く——もっとも単純な形 | 平安後期に始まり、鎌倉で完成 |
| 研出蒔絵(とぎだし) | 完全に面一——感じられる段差がない | 図柄全体を黒漆で埋め、粉が現れるまで研ぎ戻す | 最古の様式。平安時代に発達・完成 |
| 高蒔絵(たか) | 目に見える浮き彫りで立ち上がる | 炭粉・錫粉・粘土などの下地でまず盛り上げ、その上に平蒔絵を施す | 鎌倉中期に発達 |
| 肉合研出(ししあいとぎだし)(複合) | 盛り上がりつつ、表面は研いで面一 | 高蒔絵の浮き彫りに研出しの研ぎを加える——もっとも難しい | 室町で発達、江戸で流行 |
この表には本物の逆説が潜んでいる。研出しは最古の技法でありながら、もっとも平らで継ぎ目のない結果を生む。自分の金の絵を黒漆で塗り込め、それを研いで再び浮かび上がらせるからだ。そして最初に来そうな響きの平蒔絵は、実際にはあとから登場した——日本の文献は、金属粉を平らに寝かせられるほど細かく磨けるようになるまで待たねばならなかった、と記している。
起源の物語を開いたままにする一振りの太刀
蒔絵は、その始まりがいまだ生きた論争になるほど古い。奈良の正倉院には唐大刀(からたち)が納められている。聖武天皇(701〜756)の所用と伝わる儀礼用の太刀だ。その鞘は末金鏤(まっきんる)——漆の下に閉じ込めて研ぎ出した蒔き金粉——で装飾されており、これは原理上、今日用いられる研出蒔絵と同じものだ。1300年前の太刀が、それと分かる形でこの技法を宿している。
その技法が日本で生まれたのか大陸から来たのかは、いまだ決着していない。ある学者は1910年に中国由来説を唱え、別の学者は1932年に、中国の金泥法は根本的に異なり蒔絵は純粋に日本のものだと反論した。2011年の研究では、鞘が蒔絵に近いもので装飾され、同じ正倉院に納められた鑢(やすり)でしか作れない金粒が使われていたことが示された。それでも、太刀そのものが日本で作られたのかは不明のままだ。実作に結びつけられる最初の名のある名工は**幸阿弥道長(1410〜1478)**であり、桃山時代までには工芸はその代表的な様式——高台寺蒔絵——を得た。北政所が1606年に亡き夫・豊臣秀吉を弔うために建てた寺にちなむ名だ。高台寺は今も「蒔絵の寺」と呼ばれ、その内部は菊と桐の紋で埋め尽くされている。
本物の金か、印刷された金か
蒔絵は今や、茶入れと同じくらい万年筆や時計の文字盤を飾る。だから買い手が直面する率直な問いは、そもそもその金は人の手で蒔かれたのか、という点だ。実際には三つの段階があり、その真ん中が人を驚かせる。
| 伝統(本蒔絵) | 現代(近代蒔絵) | 印刷・デカール | |
|---|---|---|---|
| 下地 | 漆で手描き | シルクスクリーンまたはパッド印刷 | 模様をそのまま印刷 |
| 金属 | 本物の金銀粉を蒔く | 印刷した下地に本物の粉を蒔く | なし——金色のインク |
| 表面 | 格に応じて盛り上がりや研ぎ | 平ら、ほとんど浮き彫りなし | 完全に平らで均一 |
| 時間・価格 | 二〜六か月以上/高価 | はるかに速い/低〜中価格 | 大量生産/最安 |
落とし穴は、万年筆が「蒔絵」と表示されていても、なお印刷された下地でありうることだ。近代蒔絵は手描きの漆をシルクスクリーン印刷に置き換え、その上に本物の粉を蒔く(Platinum Preppy Wa はおよそ十ドルだ)。これは正当なハイブリッドであって、偽造ではない。粉はしばしば本物だ。しかし何か月もの手仕事ではなく、価格がそれを物語る。
一点を読むには、三つを見るとよい。盛り上がり——手蒔きの蒔絵はわずかに不均一で盛り上がった質感を残す(とくに高蒔絵は堂々と立つ)が、印刷は完全に平らだ(研出しも平らだが、その面一の表面にも粒の本物の深みがある)。粒——拡大して見ると、本物の蒔絵は不規則な丸粒や薄片状の金属粒を見せるが、印刷は規則的なハーフトーンの網点を見せる。変色——本物の金粉は千年たっても明るいままだが、真鍮の代用品は金色に見えても年とともに黒ずみ、緑色に変わる——美術館が本物にこだわる理由だ。どれ一つとして単独では証明にならない。だから収集家は作り手の名にも頼る——並木、中屋、セーラー、プラチナ、ダニトリオ——どんな手仕上げの漆でも工房の銘を信じるのと同じように。
こう見ると、蒔絵は絵というより、絵をまとった工程だ。湿った箱の中で固まる同じ樹液、帝国より長く生きる同じ金が、一粒ずつ表面へと導かれる——そして金継ぎでは、直した割れ目に沿って蒔かれ、傷を碗のいちばん明るい線へと変えるのだ。